社長コラム of はかた 魚宴



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LionsClubふくおか4R 『あかり』春号

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ライオンズクラブ国際協会公式機関誌
『ライオン誌日本版』7月号


社長コラム

感謝一考

有限会社 大 貴
代表取締役 宮本 大輔



 平凡に日常生活を送る中で、最近やけに「感謝」いう言葉に出くわす。自らがそれを意識しているがために感じられるものなのか、社会が今、それを必要としているがゆえに、多く使用されているものなのかは分からないが、とにかく気になる。


 昨今、親子間の殺人、無差別殺人など、どこか狂っているとしか思えない事件が、度々起きている。こうした社会背景を考えれば、その解決のキーワードの一つとして「感謝」が表出してくるのも不思議ではないように思える。


 人それぞれの経験、人生観によって「感謝」の意味合いや浮かんでくる具象事例は当然のことながら異なる。ここでは、私が感じる「感謝」を紹介したい。


 私は現在、飲食店を経営している。7年前に、仕事場を高等学校の教壇から、ここに移した。

 今、10名ほどのアルバイト学生を抱えているが、前職に引き続き、末来の宝である学生たちと再び縁が持てたことをありがたく感じている。と同時に、彼らを立派に育てなければいけないと、使命感でいっぱいである。大事に思う分、彼らに対し、つい厳しい目で見てしまうが、長年学生たちを見ていると、年々「感謝」度が薄れてきているように思える。もちろん、皆に当てはまるわけではないが、そういう傾向にあることは確かなように思う。


 人と人との接点は会話を交わすこと。つまり、言葉と言葉のキャッチボールから始まる。これを続ければ相手のことが理解でき、友情も生まれる。当然のことながら、子どもたちはこのことを知らず知らずのうちに実践している。しかし、これが「感謝」のキャッチボール(ギブ・アンド・テイク)となると、話は変わる。受けた恩をキャッチ(テイク)するばかりで、投げ(キブ)返さない事が多いのだ。飽食の時代、過剰に子どもに甘い戦後教育がもたらした弊害かもしれないが、結果として、人から与えられることが当たり前の、「感謝」を忘れた子どもたちを多く生んでいるように思う。して頂いた行為に対しては、何か返すべきであるし、受け身ばかりでは人間関係も希薄になってしまう。「ありがとう」という言葉はよく耳にするが、その後の行動は伴っておらず、結果として「儲けた」ことになっている場合が多い。これを私は、「感謝知らずの儲けもん主義」と呼んでいる。「儲けもん主義」を実践している子どもは、どこか情が薄いように感じられてならない。保護者は「ありがとう」を言わせることを第一にするのではなく、「ありがとう」と心で思わせる事を重要視すべきではないであろうか。


 私はそうした実情を踏まえ、自らが手本になるよう、有形無形に人から頂いた恩は頂いた以上に返すように心掛けているつもりだ。アルバイトの学生たちに対しても「十恩を頂いたら十一返すように」と、事あるごとに「感謝」に努めるよう働き掛けている。


 ところで、何気に思った「感謝」の矛盾についても、この機会に書いてみたい。

 大抵の人は、ジュースをおごったり、おごられたりした経験が、おありだろうと思う。初めておごってもらった時は、感謝の気持ちいっぱいに「ありがとう」と言うだろう。が、これが毎度のことになると、どうだろうか。もし、これが100回(つまり100本)続いたならば、本来ならば100回(100本)分の感謝の意を込めた「ありがとう」を言うべきだろう。だが、現実には、それが慣れっこになってしまい、最初の1本の「ありがとう」以下の感謝になってしまっていないだろうか。正に「感謝の反比例」である。


 灯台下暗し。自ら近くに、忘れている多くの感謝があるかもしれない。もう一度、「感謝」を見直してみてはどうだろうか。


 2年程前、福岡第一ライオンズクラブに入会させて頂き、"ウィ・サーブ"の精神の下、積極的に社会奉仕に尽力されている先輩会員のすばらしい姿を拝見させて頂いている。魅力のある方が多く在籍され、クラブ外でも利己を超えたその姿勢に圧倒されている。この精神は引き継ぐだけではなく、社会に広げていかねばならないと思う。


 それを実現させていくには、その根幹の精神「感謝」は必要不可欠である。今一度、「感謝」について各考えて頂きたいと思う。


<平成22年(2010)4月発行、LionsClubふくおか4R 『あかり』春号より>
<平成22年(2010)7月発行、ライオンズクラブ国際協会公式機関誌 『ライオン誌日本版』7月号より